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2008年01月24日
自己中ってどうやって判断する?

こんにちは
なんで屋さんから毎週、配信される「メルマガるい」を楽しみにしているさあさです
みなさん、今週の「メルマガるい」はもうごらんになりましたかぁ?
なんで屋さんのブログでも紹介してますが、今週のテーマは「自己中かどうかの判断軸って?」でした。
この疑問、中学生から発せられたものなんですが、とっても鋭い指摘です!
空気読むことが第一義だからって、「きみ、KYだね、周りに合わせろよ」と振りかざしてたら、「言ったもん勝ち!」って流れになって、要求を通すためのファシズム的になりかねないですよね。。。
じゃあ、どうしたらその場の空気を読めるの?
その判断ってどうしたらいいの?
その答えを教えてくれる記事がるいネットにたくさんあったんです
今日はその記事を集めてみましたあ
ではでは、その記事に進む前に、
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>まず、本来、(学校であっても、会社であっても、社会であっても。)
「みんなが、どうしたら、まっとうに生きていけるか?」
「みんなが、どうしたら、幸せに生きていけるか?」
が第一課題であり、そういったことを、みんなで思考し、考え、生きていきます。
だから、それにそって、「みんなが向いている方向(=共認内容)」が、決まり、
それを守れない人、それを壊そうとする人が「自己中」と呼ばれます。
学校空間では、「みんなと同じ方向に向いていないこと」が、自己中=KYとなってるのでしょう。
学校空間では「仲間との関係を壊さないこと」が、第一課題になっているので、
発言や行動の内容(共認内容)がどうあれ、
「みんなに同調しなかったヤツが自己中」になっているのだと思います。
こういった学校の状況は、SSSさんが疑問視しているように、間違っている(もしくは、足りない)とおもいます。
なぜなら、
「みんなに同調する人」が「仲間」なのではなく、
「本当にみんなのことを考えられる人」が、ホンモノの「仲間」だからです。
これは、社会(会社)でも同じで、「声の大きい人(影響力のある人)」に一見最初は、みんな流されたとしても、それは一瞬のことです。
最終的には、必ず「みんなのことを考えられる」ことで、本当の仲間ができるし、みんながまっとうに生きていける(=活きていける)社会ができていくと、私は思っています。
">「『みんなに同調できない人が自己中』という共認は、間違っている。」から抜粋
>みんなの評価(ここで言えば自己中だという評価)は、共同体(集団社会)における課題、役割が成立して、初めて成立するものです。
例えば、文化祭でクラスの出し物を決めたとします。
これは、ひとつの共通の課題ができた状態と言えます。
この決定までにはいろいろあったとしても、最終的に決まったものに対して、「俺そんならやらねぇよ」と言ってしまう子は、明らかに自己中です。
周りが「いい」と認めた方向性に対して自分の意にそぐわないからやらないという理論は集団社会では成立し得ません。
でも、同じ状況でも、やりたくないと感じていたとしても、
決まったからにはそれを頑張ろうと思える子もいます。
この子は、課題を直視し、それに適応する意思を持てる子です。
つまり切り替えができるということ。
言い換えれば、状況にあわせて行動が出来るというわけです。
こういう子は所謂CKY(空気が読める子)と言われる子です。
ここでこの2タイプの子に言えるのは、「状況に応じてどう対応したか」という点です。
つまり周りの期待を受信することができたか否か、にかかっています。
この受信の感度こそが、自己中でそうでないかの分かれ目になっています。
また、ここでもうひとつ重要なポイントは、この場面では共同体(クラス)における共通課題(文化祭を成功させること)が存在しているということです。
これが想定されているからこそ、課題に取り組むための目的が出来上がり、それに対してどんな役割を担えたか、そしてその結果どうだったかという評価につながります。
ここではじめて評価が成立します。
逆の言い方をすれば、課題がない状況では自己中かそうでないかの評価など出来ないということが言えるのです。
「自己中という判断には、「評価」と「押し付け」の2つがある!」 から抜粋
この問題の難しさがどこにあるのか、まずはその「KY」という言葉が何なのかを明らかにしたい。
「KY」=「空気が読めない」
これは周りの人間からの「評価」である。
そこで、この「評価」というのが、何を基準にしてなされるものかという問題が出てくる。
この「評価」の基準が形成されるには、そのクラス(集団内)にある「課題」に対しての共認と、皆のそれぞれの「役割」の共認が必要である。
「KY」をもっと本質的に明らかにするなら、このようになる。
「KY」=「空気が読めない」
↓
「KY」=「課題が読めない」
その「KY]=「課題が読めない」から、変わるためには、その課題を読む力が求められる。
そのためには「状況」を読む力が必要だ。
「KY」=「課題が読めない」
↓
「JY」=「状況が読めない」
今の学校のクラス(集団内)の「状況」を誰よりも正確に読み、そしてその「状況」をどう好転させるかという「課題」を明らかにしていくこと。
これが、今後の学校や社会で、皆から期待されている力ではないだろうか?
「KY→KY→JY」から抜粋
これらの記事から分かることは、
・自己中かどうかという評価は課題や役割があって成立する
・課題や役割、状況を掴んで、それに適した行動ができれば自己中ではない
・周りに同調できなかったからと言って自己中になるとは限らない
・みんなのことを考えて行動できれば自己中ではない
ということのようですね。
みなさんは「自己中」や「KY」ってどのように判断しますかあ~?
なんで屋さんやるいネットでの自己中について、まだまだ追求は続いていきます
ブログで、るいネットで、なんで屋さんで、ぜひぜひ聞かせてください
一緒に追求しましょう~!!
投稿者 staff : 2008年01月24日 14:12
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コメント
「みんなでどうやったら、うまくいくのか?」
「どうしたらみんなの活力につながるのか?」
これらの視点で物事が考えられるようになってくると、自己中心的な観点は心の中から消えていくのかもしれませんね。
そのためには、おそらくみんなで課題を達成することから得られる充足体験を積み重ねていくことこそ、これからの社会に必要なことかもしれません。
「個人で何かをするよりも、集団で何かをつくりあげる教育」が、これら一連の投稿を読んで今この社会に求められる教育なのだなと痛切に感じられました。
投稿者 さみだれスカンク : 2008年01月25日 01:48
>さみだれスカンクさん
納得させられる、コメントありがとうございます☆
>みんなで課題を達成することから得られる充足体験を積み重ねていくことこそが社会に必要
には、なるほど!です。
教育でも、会社でも、友人関係でも、家庭でも、あらゆる場面で必要とされてるんでしょうね!
投稿者 さあさ : 2008年01月25日 16:30