元気の語源☆ | メイン | 成長できるチャンスって~?
2008年12月20日
ユズリハのようでありたい~「一つの老後の生き方」 ~
こんばんは~
やまずんです
あっという間にクリスマス
年末ですね

早い~
歳の分だけ、時がたつのは早く感じるといいますが、今年は特にあっという間です
歳を重ねる分だけ、充足を積み重ねて、人の役に立てるような人生を送りたいですよね
今日は、あるご老人のこんなステキなお話の紹介です
自分と親しくしてくださっているあるご老人の老後の生き方ですが、老後の生き方の一つとして示唆してくるものだと思うので、投稿します。
そのご老人は藻類を主に研究している生物学者ですが、大学を去った後はある海沿いの町に臨海研究所を設けて、子供たちを対象にして、環境教育や農業をしておられます。自分に、生物史や環境についての基礎を教えてくださった恩師です。
彼は生物としてのあり方を見ても、今の「高齢者が若者の活力を奪う社会のあり方」に疑問を持っていて、自分はユズリハのようでありたいと、今は自分の余生を子孫達のために捧げるために生きています。
まず、定年を迎えた人間の役割について考えると、サルやチンパンジーも自分の子育てを終えた後は、群れの子育てを担うことになりますが、人間の場合で言えば、群れの子育てとは、年金などを通して社会的な子育てに関与する事だといっています。
そして、それさえ終えた定年後というのは、生物的には「役割をまっとうした」存在になった、つまり「いつ死んでもいい存在になった」そうです。
彼は実感として、定年を迎えて死ぬ事が怖くなくなったといっています。
ただし、生物は自ら命を絶つことは出来ない。
では、どう生きるか?というときに大きな示唆を与えてくれる生物が、「ユズリハ」という植物です。
ユズリハというのは、常緑樹なのですが、春先に新しい葉がいっせいに開くと、古い葉もいっせいに垂れ下がって、やがて枯れ落ちる(栄養分を若い葉に送る)ようすから、名づけられた植物です。
平安時代の人々は、亡き人の供物の下にユズリハを敷いていたようなのですが、きっとこの樹木の葉に自分達の様子を重ね合わせていたのではないかと言っていました。
では、定年後の人間は何を子孫に譲れるのか?という問いが立つのですが、その答は、遺産でも財産でもなく、まさに「自分達の余生」だというのです。
老人の強みは、子育てと言う役割を果たしたからこその、何の未練もなく命を捧げる事だといいます。
彼は今、余生を捧げることへの一つの解として、世界中の悲しみを少しでも減らすために生きています。ある島に、理想的な循環型社会を作ろうとしています。
こんな風に、自分達のために生きてくださる人がいるということが、本当にありがたく、また自分も「大切な物を受け継いだ存在」として、しっかりと生きて生きたいと思うようになりました。いずれ自分にも老後があるとすれば、今度は自分がそのように生きたいと思います。
老後の過ごし方は、人それぞれだと思いますが、「誰かの為に生きる」生き方は、とても素敵だと思います。
ありがたいことですね。
こうして、みんなのために命をささげて闘う姿を見ると、
一切の言い訳なしに、ただただ自分も応えていきたいという感覚になりますね
「応えたい」という想いにたたせて下さる存在が、
それによる充足を味合わせて下さることが、
みんなへ充足をつなげて、広げて下さることが、
本当に有難いことだとおもいます
何よりも、その存在が、みんなにとって有難いことなんだと感じました
投稿者 member : 2008年12月20日 23:55
トラックバック
このエントリーのトラックバックURL:
http://blog.nandeya-card.net/cgi/mt-tb.cgi/456

) 
